「本門の時代」を後継の育成で開く

本格的な後継者育成の第一歩として「高等部」が結成されたのは、1964年(昭和39年)6月7日。当時の日本社会は、青少年の間に精神的な空虚感が広がり、少年犯罪も増加傾向にありました。

池田大作先生(当時、創価学会第三代会長)は、日本と世界の未来を展望した上で、“青少年の育成に範を示していくことが学会の使命であり、社会的な役割の一つである”という考えから未来部の結成を提案。「本門の時代」の幕開けを、新たな人材の育成に力を入れることから着手したのです。

「みんなは目先のことしか考えない。しかし、30年後、40年後の学会をどうするのか。その時、学会の中核になっているのが、今の高校生です」(『新・人間革命』第9巻「鳳雛」の章)――これが池田先生の思いでした。

さらに翌65年(同40年)1月15日、「中等部」が誕生。小説『人間革命』の聖教新聞連載開始とほぼ時を同じくしての船出となりました。

同年9月23日には、「少年部」(後の少年少女部)も結成。宝の子どもたちは、池田先生の慈愛の励ましや「創作童話」などを通して、強くたくましい心を育んでいったのです。

1971年1月 池田先生が未来部員を激励(東京・板橋)

「鳳雛会」「未来会」の結成

1966年(昭和41年)1月から、池田先生は毎月、高等部の代表メンバーへの御書講義を開始。「諸法実相抄」「生死一大事血脈抄」「佐渡御書」などの重要な御書を通して、本物の弟子を育てようと真剣な講義を重ねました。同年6月には第1期生に修了証を授与。このメンバーたちは後に「鳳雛会・鳳雛グループ」として結成されました。「鳳雛会」はその後も期を重ね、全国各地にも誕生していったのです。

さらに70年(同45年)6月には、小・中・高の代表メンバーで「未来会」が結成されました。当時は、いわゆる「言論・出版問題」の影響で、学会への誤解や偏見にもとづく非難・中傷の嵐が、日本中で吹き荒れていた時。未来会の結成の1カ月前、池田先生は記者会見の席上で、こう力強く宣言されたのです。「学会がどうなるか、21世紀を見てください。社会に大きく貢献する人材が必ず陸続と育つでしょう。その時が、私の勝負です!」と。

「未来会」もまた、その後、各地で順次結成されていきました。

1969年8月に行われた「鳳雛会・鳳雛グループ代表の野外訓練」(静岡)

「創価学会後継者の日」と未来部7つの指針

「創価学会後継者の日」の淵源は1976年(昭和51年)5月5日、関西戸田記念講堂で行われた鳳雛会・未来部の記念勤行会にあります。席上、5月5日「こどもの日」を、後継の友が成長を誓い合う「創価学会後継者の日」とすることが発表されたのです。

ここで池田先生は、未来部に6つの指針を贈りました。2013年(平成25年)には、この6つの指針にさらに1つを加えて7つの指針に。これが今に続く「未来部7つの指針」となったのです。

  • ①健康でいこう
  • ②本を読もう
  • ③常識を忘れないでいこう
  • ④決して焦らないでいこう
  • ⑤友人をたくさんつくろう
  • ⑥まず自らが福運をつけよう
  • ⑦親孝行しよう

池田先生は後に、こう述べています。「創価学会にとって『後継者の日』は、5月3日の『創価学会の日』に続く重要な日である。一切の建設は『人』で決まる。『人』といっても、若い世代に託す以外にないからである」

1981年5月5日「創価学会後継者の日」
池田先生が未来部員を激励(東京・八王子の創価大学)

毎年の「創価学会後継者の日」とは、池田先生が未来部に送った励ましの歴史を学び、師弟の誓いを新たにする日にほかなりません。この日を原点としながら、使命の舞台へ羽ばたき、「後継の正義の走者」として活躍している友が今、日本中、世界中にいます。

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